会社の福利厚生が使えるうちに使っておく、貧乏性!ずーやまです。
8月末をもって退職が決まりました。
それに伴って、もちろん会社の福利厚生も使えなくなります。
そこで使えるものは使い切っておこうということで、福利厚生でちょっといいホテルに泊まってきました。
ちょっといいと言っても、1万ちょいくらいのホテルですが・・・・。
その土地の有名な飲食店でご飯を食べたり
ホテルで泡風呂を作ってみたり
朝食バイキングを楽しんだり・・・
いつもと違う場所で過ごすというのも気分転換になっていいですね〜。
ホテル代金は0円だったので電車賃や夕食代のみで楽しめました。
ホテルでぼーっとしながら、自分の性質だとか性格だとかを振り返っていました。
そして、Twitterで繋がっている精神疾患をもっている方々がかなりの割合で幼少期の大人との関わり方に何かしらの問題を抱えているなと個人的に感じました。
でも同時に、幼少期に傷を負ってしまうような感度が高い元々の性質があるからこそ、大人になってからも周囲の環境に精神を左右されやすいのかもしれないとも思いました。
今回は、幼少期の大人との関係性によって大人になってからの影響があると仮定して話をしましょう。
ちょっと僕の昔話をします。
僕の父親は頼れる人です。
家族のためならなんでもしたいと思っちゃうような人で愛が深いです。
でもちょっと、それゆえに考えすぎちゃう人です。
父親自身は不遇な幼少期を過ごしたと言っていました。
当時高校生だった彼は母親(僕からしたらばあちゃん)から冷たくされていたと。
父親が高校生の頃、友達とハンバーガーを買いたいがお金がなくて50円をねだったら厳しく非難されて一切のお金をくれなかったと。
それだけ聞いたら、なんだそんなことかと思うんですけど、父親の弟には割とばあちゃんは甘かったようで、その扱いの差にひどく傷ついていたそうです。
また、両親の仲も当時は最悪だったらしく、毎日怒鳴り声が鳴り響いていたと。
そういったストレスから、治療がほぼ不可能という皮膚の病気にかかりました。全身が火傷したような感じになって、皮がめくれてポロポロ落ちる病気です。
もちろん顔にも腕にも足にも火傷の痕のようなものがいつも父親にはありました。
一生治らないと言われて父親は絶望したことと思います。
僕は小さい頃、父親の裸を見ずに育ちました。
夏もなぜか長袖長ズボンの父親。
お風呂も一緒に入った記憶はほぼありません。
旅行に行った時には、小さい頃は女風呂に。
物心つき始めてからは、一人で大浴場で風呂に向かっていました。
父親は裸を子供に見られたくなかったのだと思います。
確かに父親の頬には赤い痣のようなものがあり、全身から余計な皮膚がポロポロと落ちるので母親は毎日掃除機をかけていました。
でも僕にとって、父親に痣があろうがなかろうが、それを嫌悪したことはありませんでした。でもやっぱり父親本人にしたら裸は嫌だったのでしょう。
僕は小さい頃、二世帯住宅で父親の母親と父親(ばあちゃんとじいちゃん)と暮らしていました。
僕、妹、母親、父親、じいちゃん、ばあちゃんの6人暮らし。
もうその時は祖父母共に落ち着いていて、優しいじいちゃんばあちゃんでした。
そもそも、そんな不遇な扱いを受けていたのに同居するなんて父親はちょっといい人すぎるんだと思います。僕なら県外に出て一生会わないかもしれません。
そんな不遇な扱いを受けていた父親は「自分の子供には平等に接し、不自由ない暮らしをさせてやりたい」と心に決めて、僕と妹を育てました。もちろん母親と協力してね。
お金の面で我慢したことは一度たりともない気がします。
やりたいことをやらせてくれたし、ちゃんといいこと悪いことを教えてくれたと思います。
ただやはり、昔に負った傷というものは深いもので、父親は気分の浮き沈みが激しく、
落ちていくと奈落の底まで落ちていく人でしたし、怒ると怒鳴って物に当たる人でした。
僕が小学生の頃、家族旅行をした時、旅行先でお祭りをやっていました。
そこでポケモンのくじがあり、僕と妹はそれをやりたいとねだりました。
当たれば、ぬいぐるみ、外れたら缶バッチ。
僕と妹はくじを2回ずつやりましたが全部はずれ。
缶バッチをもらいました。
欲しかったのは、ミュウのぬいぐるみ・・・。
でも缶バッチでどうしても喜べず、膨れっ面をしていると父親はそれに対して面白くなかったのでしょう。ずっとそのモヤモヤした気持ちを宿泊先まで持ち帰り、そこでその缶バッチをボコボコに折り始めました。
子供心に恐怖映像でした。
怒りに任せて物を壊していく様は自分の心をぐしゃぐしゃにされているようで、なんとも言えない気持ちになったのを覚えています。
怒りがおさまってしばらくすると、後悔に苛まれるようで、そのボコボコの缶バッチを元に戻して僕達に渡してくるのですが、そのボコボコになったバッチを見ると思い出しそうで、恐怖で。
それがわかっていたのでしょう。気づいたら処分されていました。
こんな感じで、基本的には良い父親だったと思うのですが、たまに衝動的にちょっとしたことにブチギレてしまったり、その反動でひどく落ちたりする人でした。
詳しいことはわからないけど、双極性障害とかあったのかもしれません。
僕が中学生の頃には父親はうつ病にかかり、休職をしました。
それでも家庭を守るために働かなければと無理をしてたった1ヶ月の休職で復帰をしました。
今では考えられないと思います。
僕の急性期なんかよりもずっと症状は重い感じで、ずっと希死念慮ももっていたみたいです。
無理して復帰してなんとか、勤め上げ、今は退職をし再雇用で働いています。
ただやはりちゃんと休まなかった代償なのでしょうか、今でもメンクリに通い、薬は服用し続けていますし、昔ほどではなくなったようですが母親曰く、
「今でも時々ぼーっとして、いきなり落ち込んだり、死にたいとまでは言わないけど、家族がいることだけが生きる意味だみたいなこと言ってるよ」
とのこと。
割り切ったり、どうにかなるか〜という意識は全くない(というかそういう感情を持てない)ようです。
もっと適当に生きたらいいのにと思うのですが、こればかりは僕にはどうもしようがありません。
父親もある意味被害者というか、幼少期の傷がいまだに癒えてないのかもしれません。
僕は父親が好きです。救ってあげたい。
でもこればかりは、自分で乗り越えるしかなく外野が(たとえ家族でも)何を言っても聞く耳を持たないんです。
もっと楽に考えたら?
なんとかなるって
と言っても、本人はそうは思えないんですよね。
そんな僕も、父親と同じくうつ病にかかってしまいました。
中学生の頃に傾向はあったので、なんとなくなる可能性はあるよな〜とは思っていましたがやっぱりなっちゃいましたね笑
僕の場合はかなり早い段階で、気づいて、「もう無理!」と逃げることができました。自分に甘いので。
それでも1ヶ月近くはベットにこもってばかりで、光を嫌い、冷凍食品で生き延びるため這ってレンジに向かう日々を過ごしました。
それでも、薬を飲んだら回復も早く、2ヶ月目以降は外に出ようという気持ちも湧いて、今は働きたいという気持ちも強くなりました。
ちなみに僕の母親はメンタル鬼つよです。
母親はもっと幼少期に不遇で、母親の母親が浮気をし、赤ちゃんをだけ連れ、出ていきました。
中学生の頃に、新しい母親が来て、その連れ子の男の子ときょうだいになりました。
母親こそ、メンタルやられても良さそうなのに
「両親が離婚した子供だからと言って文句は言わせない。可哀想な人だと思われたくない」と必死で頑張ってきたようです。
多感な時期に新しい母親、きょうだい。僕なら無理かもしれません。
メンタル鬼つよな母親ですが、負けん気が強いとか、勝ち気とかそんな感じではなくどちらかというと落ち着いた人で、争いを好まず、協調力のあるひとです。
僕はこの人から半分の遺伝子をもらいました。
だから、今後はこの人の気質を感じ、生きていこうと思います。
回復が早かったのも彼女のおかげかもしれません。
1回は負けました。
でもこの先、どうにか生き抜いて見せてやろうと思ってます。
こんな嫌なことも多い世の中だけど、どうにかしがみついて生き抜いてやろうと。
そこで自分の大切な人を大事にできるようにって。
そして楽しいことをいっぱいしようって
旅行もしたいし、知らない景色もたくさん見てみたいし、いろんな人にも会いたいです。
終わり
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ぽちっとな