やっぱり今日は結構降りますね、雨です。ずーやまです。
うつ状態に陥って、ベットから起き上がれなくなった日からはや3ヶ月が経ってしまいました。時が過ぎるのは早いね。
3ヶ月前までは毎日、6時には起きて準備して7時前には家を出て、帰りはサビ残、20時に終わって、帰宅したら21時前。
普通に働いてたんだよな〜と思うと、なんだか遠い昔のことのように思います。
僕の働き方より、もっともっと朝早くから夜遅くまで働いてる方もいらっしゃると思うのですが、普通に結構しんどいな〜とは思ってました。
きっと多分、この働き方だけが今に至る原因ではなく、いろんな要素が複合した結果、プツンと頑張る糸が切れてしまったんですね。
ベットから起き上がれなくなったし、全てがバカバカしくも思えてしまいました。
こんだけ毎日、仕事のために生活して、一生懸命やっていてもうまくいかないことの方が多いし、自分の不甲斐なさや上司の言動にも腹立たしく感じたり、悲しく感じたり、でも自分なりにうまくやらなきゃって思ってたけどうまくいかないし・・・
いろんなことに疲れたな〜
そんな気持ちが爆発しました。
当時、死にたいとかは思わなくて、
ああ、なんだか疲れた・・・そっとしておいてほしい・・・
と暗い部屋でずっとベットで引き篭もりました。
そんな僕でしたが、精神科にも行ったし、休息もかなりとったし、そろそろ社会復帰かなって思ってます。
面白いことも考えることができるようになったし、人とまた関わりたいという気持ちも湧いてきました。
もうしばらく休職期間は続くので、休職おじさんに変わりないのですが、
復帰した暁には、休職生活ではなくなるので、ブログはどうしよう・・・
過去、人生において、ブログは数回作成したことがありますが、こんなに長く続いたのは今回が初めてです。
人生初のブログは中学生の頃でした。
初めて自分のPCを買ってもらって、インターネットが我が家にも繋がった時には感動でした・・・
今や、あることが普通だし無料で使えるWi-Fiもめっちゃあるのにね。
今みたいな素敵なデザインはそんなになくて、今でいう阿部寛のHPみたいなデザインしかなかった。(悪く言ってるつもりはないです)
友達同士の内輪で盛り上がるブログとして、しょうもないネタブログを書いていたのですが、ある日知らない人からコメントがついてました。
「中学2年ですか!?リブリーおれもしてます面白いですよね!」
リブリーというのは、リブリーアイランドという(今でもサービスあるのかな)たまごっちみたいな、自分の化身を設定して、ネットワーク上の島で会話をしたり、ゲームをしたりするというサービスでした。
あ、あったこれです
リブリーアイランド公式HPより引用
今もやってるみたいですね。
当時はこんなに種類なかったような気がします。
あ、でも、お笑い芸人のニッチェみたいなキャラはいたな・・・・
リブリーアイランド公式HPより引用
当時は、そのリブリーアイランドでチャットができて、個人情報とかも呟き放題だった気がします。今よりもみんなネットリテラシーの関心も薄かったです。
どこからかそのコメントくれた人は僕のブログを探し出したらしく、その子もたまたまブログをしていて、相手のブログにもお邪魔したりしながら交流が始まりました。
今でも覚えているのは相手のハンドルネームが、「しょうげん」くんという名前でした。
ちなみに僕のハンドルネームは「やんちゅう」でした
なんやねん、やんちゅうって。
しょうげんくんも、当時僕と同じ中学2年生で、確か盛岡に住んでいる子でした。
毎日、リブリーランドに行って、しょうげんくんと話すのが日課になっていきました。
毎日チャットをする中で、互いのことを信用してきたこともありメールアドレスを交換して、メールでのやり取りをしていた気がします。
オフラインでの繋がりしか持っていなかった自分にとって、オンライン上でのつながりができたのは初めてで、
「世界ってどんどん広がってるんだ!」
と中学生ながらに新鮮に思った記憶があります。
中学2年生の多感な時期に、実生活の輪から外れた、同年代の子にいろんなことを話せることがすごく嬉しくて毎日、他愛もない話をずっとしていました。
そして、自分でもよくわからなかったですが、ちょっとそのしょうげんくんの事を好きになっている自分にも気づきました。
男なのに男を好きになるってあるのか・・・?
と思ったりもしつつ、好きなのか、癒やされているのか、友達として仲良くしたいのか
よく分らないグルグルな感じでした。
やり取りの中で、なぜかしょうげんくんが「年賀状を交換しよう!」と言ってくれて、手紙の交換とか特にした事ない自分にとっては、なんかドキドキの体験でした。
オンラインの人と年賀状を交換する世界線は想像もしてなかったです。
当時、僕がうまくかける最上級のピカチュウを年賀状に描いて送りました。
年賀状を書くということは本名を知るということで、少し怖さもありましたが、勇気を持ってえいって送った記憶があります。
昨今では考えられないよなって思います。
オンラインで繋がることって全然珍しいことじゃないし、今や出会い系(表現古いかwwwwマッチングアプリね)とかも普及して、全国の人と繋がれるようになりました。
しょうげんくんからきた年賀状にも可愛い絵が描いてあって、何が描いてあったかはもう覚えてないけど貰ったことにすごく嬉しかったなって。
しょうげんくんからも「会いたいね」とか「一緒に話してると癒やされる」
とか言われてめちゃくちゃ嬉しかったし、きっと相手も僕の事を少し好きだったんだろうなって思います。
多感な時期って色々揺れ動きますよね。
僕は割と自分よりも身長が大きい男の子とかに抱きついておんぶしてもらったり、膝に乗せてもらったりするのが好きでした。
それは別に性的に見てるとかではなくて単純にひさに乗るのが好きだったり、おんぶしてもらって視線が上に行くのが面白かったんですね。
でもきっとそれは、性的な感情ゼロってわけではなかったと思うし、自分でもよくわからないってのが正しかったと思います。
年も明けて、中3になって、受験生になるとだんだんとリブリーアイランドからも遠ざかっていくようになり、しょうげんくんとも疎遠になっていきました。
毎日、学校に通い、塾に通って忙しなく過ごしていました。
そんなこんなで、リブリーアイランドには全く寄り付かなくなり、しょうげんくんともメールもしなくなりました。
そうやって日々を過ごし、やっとこさ高校受験も無事に終わり、第一志望に合格したことをしょうげんくんに久々に報告のメールを送ったら、
「おれも高校受かったよ!高校でも楽しもうね!」
とメールがきました。
なんとなくその返信が来た時、
「ああ、多分もうこれでやり取りは終わるなー」
と変な確信がありました。
謎にオンラインの人とやり取りをしていたこと、ちょっと男の子を好きになっていたこと、やり取りが終わってちょっと失恋したような気持ちになったことは誰にも言わなかったし、秘密だけど、自分だけが知っている素敵な秘密だった気がします。
そしてあれから本当にやり取りも全くなくなり、相手も同じ気持ちで新しいステージに進んだんだと思います。
時代がどんどん進み、なんでもできる世の中になってきたことは素晴らしいことだけど、各時代の不便さみたいなものが生み出すドラマみたいなものもあるのかもしれないです。
懐古厨ではないので、「ああ、昔は良かった」とは思いませんし、今があるからこそ昔を懐かしく思えるわけで、便利な世の中には賛成です。
しょうげんくん、もう結婚もして子供もいたりするのかな〜
どうか幸せで暮らしていますよーに
↑
ぽっちとすると、もしも運命の人がいるのなら、運命の出会いがあるなら〜
きっと会えます。