溶けました。ふう・・・ずーやまです。
再来週くらいまで、35℃付近の気温が続くらしいです。
終わりました。はいはい。終わりおわり。(投げやり)
地球で暮らすのもう厳しいっすわ!!!(大げさ
なんでこうも毎日暑いんですかね。
家の中でクーラーつけてますけど、なんかそれでも暑い気がするし、あんまり下げすぎても電気代とか心配になっちゃうし。
僕の中で最高なのは銀行のATMですね。
スーパーの生鮮品コーナーぐらい涼しい・・・。
最近は暑すぎるので、無駄にスーパーに寄って、買いもしない生鮮品コーナーに行き野菜を選ぶフリをしながら暑さを緩和してます。
なんかしら買って退店するので許してください・・・・。
さあ、最近思うことですが、
短気は損気
これをひしひしと感じます。
そういうお前は短気じゃないのか?と言われると僕は割と、怒らない方だと思います。
これは自分が優れているとか、自慢したいとかいう話ではなくなぜ、怒らないかということをちょいと話したいと思います。
まず一つ目は、相手への興味が薄いということです。
こうやって書くと、すごく嫌なやつっぽいけど、人は人、俺は俺。そういう考え方がベースになってます。
もちろん、自分が好きな人には喜んでもらいたいし、周囲の人が幸せであれるようにという思いは持ってます。
でも、自分には理解の及ばない事柄もあるし、分かり合えないこともあると思っているので、そういう時には
「まあそんな考え方もあるか〜」
と受け流したり、たまには
「勉強になったなあ〜」
と思ったりしてます。
二つ目は相手に過度に期待しないということです。
これかなり大切で、そもそもなんで怒るかというと、自分の思い通りにならないことに対して焦ったり、困ったりして混乱した感情が怒りで出てくるんだと思うんです。
相手が思うように動かない
とか
自分が批判されている
とか。
相手が思うように動かないのは当たり前で、だってあなたじゃないから。
例えば、会うたびにプレゼントをしてくる友達がいたとします。
もちろん、プレゼントを貰えば嬉しいし、自分に好意を向けてくれるからこそだと思うのでその気持ちは嬉しいと感じます。
何度もプレゼントをいただいたらこちらも返さなきゃという思いになりますから、相手が喜びそうなものをお返しするとは思います。
でも毎回毎回、そうやってプレゼントされると僕はしんどいと感じます。
そして、多分「毎回もらうと心苦しいから、なくても全然平気だよ」って伝えます。
それでも相手がプレゼントをやめなかったとします。
すると僕はお返しをする頻度はかなり減ると思うんです。お断りしてるのに。
そうなった時、相手がどう出るか。
「自分の気持ち的にあげたいから、君は何も返さなくていい。ただ自分がしたいだけ。」
という感情であれば、それでも気兼ねだけど、まあ納得します。
でも、それで
「こんなに君にプレゼントをあげているのにお返しがない!」
と言い始めたら、それはお門違いだと思うんです。
自分がこれだけ相手に尽くしているのだから、相手も相応のお返しをするべきという思考は完全に相手に依存した考え方だと思うんですよね。
自分が好きでやっているのに、それを相手にも求める
というのは僕は違うのではないかなと。
結局は相手に期待して、自分がこのように行動すれば、相手も相応の返しをしてくるはずだという過度な期待は自分を苦しめることになります。
自分はこんなに頑張ってるのに・・・
自分はこんだけ努力してるのに・・・
と気持ちが自分ばかりに向くとしんどいので、
相手はこれされてどう思うのかな?
相手の立場だったらどう感じるのかな?
という思考回路大事ですね。
最後3つ目は、人間は完璧な生き物ではないということです。
自分が完璧ではないように相手も完璧ではありません。
自分が失敗するように相手も失敗します。
自分がどれだけ誠心誠意尽くしたと思っていても、相手の不逞な行為で返されることもあります。
そもそも誠心誠意と自分では思っていても、他からみたら理解不能の行動かもしれません。
年齢、性別、国籍関係なく多分人間は間違いを起こす生き物です。
相手が間違えた時にそれを許す、受容するということは生きていく上ですごく大切に思います。
僕が間違えた時も許して欲しいし。
とにかく、短気は損気です。
これは僕の偏った考え方なので、異論は認めますが
短気な人は、熟考できない人なんだろうなと思います。
感情を貯めるキャパが少ないんだろうなって。
だから、すぐに爆発しちゃうんですよね。きっと本人も後悔したり、改めようと思ったりもするんでしょうけど、されたこっちからしたら、触らぬ神に・・・と思っちゃいますよね。
溜めすぎて、吐き出せないのも良くないですけどね。
うまく調整しながら生きていきたいものだな・・・・
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ぽち太郎