うつ病から始まるフリーランス日記

うつ病になってからの記録とこれからの人のために

全部は分かり合えない

気づけは勝手に8月になっていました。ちょっと怖さを感じます。ずーやまです。

 

さあ、先日、クリニックに行った時に薬はもう飲まないでもいいのではという話になりました。

 

というのも(真似しないでください)僕は最近、薬を飲み忘れていることが多く、飲んでいても飲んでいなくても気持ち的には変わりませんでした。

 

 

休職してストレスがないということもあるのでしょう。

 

 

 

そうなってくるとわざわざ飲む必要性も感じず、思い出した時に何となく薬を飲むという感じで生活をしていました。

 

 

 

その事を主治医にいうと、それならばもう飲まなくても・・・ということになったわけです。

 

 

 

まあそんなこんなで、僕のうつ人生は一旦終焉を迎えることになりました

 

 

 

もちろん、普通に落ち込むこともあるし、腹立たしい気持ちになることもあります。

 

 

 

でもそれは生きてれば、誰もが感じる感情ですし、うつ病だからそう感じるわけではないです。

 

 

 

そうそう

僕はうつ病になった当初から、違和感がある言葉があり「寛解」という言葉です。

 

 

 

僕の認識が合っているのであれば、寛解というのは完全には良くならない。一生付き合っていかなければならないということです。

 

 

でもそれって当たり前なんじゃないかって思うんです。

 

 

うつ病って特殊な人がなるわけじゃなくて、誰もがなる可能性のある病気だと思ってます。

 

 

心の風邪といえば分かりやすいのでしょうか。

 

風邪も誰しもがなる病気だし、かといってみんな同じように風邪になるわけではありません。風邪をひきやすい人もいれば、ほぼひかない人もいます。

 

 

 

僕はうつ病にしかなったことがないので、うつ病に限っていうならば、うつ病は「心の風邪」なのかなって。

 

 

 

誰しもなる可能性があるし、何度もなる可能性もある。

 

 

だから、そもそも寛解という言葉が僕にはしっくりきません。

だって一回なったらもうならない病気じゃないし、選ばれしものだけがなる病気じゃないから。

 

風邪になった人が「風邪とは一生付き合っていかなければならない・・・」と真剣に考えているところは見たことないです。

 

 

もちろん、身体的な風邪とは症状の重さや長さが違うので、ある程度の基準を超えると障害者手帳が発行されたり、生活を保障するための障害年金を受け取れたりします。

 

 

こういう背景もあるので、うつになると障害者、健常者と分けてしまいがちなのですが、健常者だって辛くてうつっぽくなることもあるでしょう。

 

薬を服用したり、病院で診断を受けたりしていないだけで、苦しみながら社会で戦っている人もいると思います。

 

 

精神疾患の方々の界隈で、やり取りをする中で首をかしげてしまうのは

「この気持ちは健常者にはわからない」

という人が多いことです。

 

 

そりゃ、完全にはわからないです。

当事者になって、うつ病にもいろいろあって、双極性障害という分類に分かれたり、発達障害にもつながっていたり・・・僕もなってみて初めて知りました。

 

 

僕は落ちることはあっても上がることはなかったので、双極性の症状の方の気持ちは完全には理解できません。

 

 

 

それでも理解したい気持ちもあるし、相手へのリスペクトはあるので分かり合えるとことは共感し、結局理解できない、分かり合えないところは適当に流します。

 

 

 

前にも書いたような気がしますが、全ての人が分かり合える世界は、エヴァの世界でそれってゲンドウがやろうとした人類補完計画とか、コードギアスでシャルルが作ろうとした世界ですね。

 

 

生きてきた環境、性質が違うのだから全ては分かり合えません。

 

それを「ああそんなもんか〜」とうまく流すスルースキルも必要です。

 

自分のこころの平穏のためにも、うまくスルースキルは身につけたいものです。