うつ病から始まる休職生活

うつ病になってからの記録とこれからの人のために

23歳学ランを着て地元を凱旋の巻 PART1

うつで休職してから自分を見つめ直すと、やっぱりADHD傾向があるのではないかと勘ぐる男、ずーやまです。

 

僕には地元ですごく大切な友人が4人います。

 

その中でも、親友と言っても過言ではない友人が1人いるのですが、もうかれこれ小学生の頃からの付き合いなので、30年近くになります。

 

彼はH田という男なのですが、つい先ほど僕から電話をしました。

 

というのも、彼も昔ADHDを疑い検査を受けたとの話を本人から聞いていたんです。

当時社会人一年目のH田はパワハラ上司に当たってしまい、自分の仕事のできなさに責任を感じ、あまりにも出来ないので、自分に問題があるのではと思い検査を受けたところ、ADHD軽度だと診断されたそうです。

(例えADHDだったとしても、1年目なんて出来なくて当たり前じゃないか、そんなん上司の育て方が悪いと僕は今でも思っていますが)

 

ADHDの先輩としてどんな風に現代を生き抜いてるのか聞いてみたいな〜

(まあ結局は元気してるかな〜という安否確認を含めて)

みたいなノリです。

 

 

ADHD軽度と診断を受けたH田ですが、今や家庭を持ち、子供も2人いて立派にパパをしています。本当に尊敬です。

 

そんな彼との宇宙一しょうもないエピソードを思い出したので、記します。

 

 

当時、23歳の頃、大学を卒業し(浪人だったので)就職先も決まって、一度実家に帰った時期がありました。

 

地元で就職したH田は一年先に社会人になっていて、社会の洗礼を受けながらも頑張っていました。

 

地元に帰ってきた時にH田と会うのは決まってファミレスの「ジョイフル」

本当に最高なんですよねあそこ。

 

当時は五百円くらいで唐揚げ定食とか食べれていたような気がします。

ドリンクバーの券を持っていれば、ドリンクバーが無料だったか、もしくはめっちゃ安くなったはずです。

最長4時間いたことがあります(すごい迷惑

 

そしてお会計の時に新しくドリンクバーの券くれるんですよね。

 

そんなことされたらまた行っちゃうし、行ったらまたドリンクバーの券もらえるし、

えっ何これ、永久機関の完成!?(違う

 

 

そんな感じで貧乏大学生や高校生たちの溜まり場の役割を果たしていました。

本当にありがとうジョイフル・・・・君のことは忘れないよ・・・(現存してます

 

地元に一度戻ってH田と会ったその日もいつものようにジョイフルにいき、僕はミックスグリル定食、H田は唐揚げ定食と山盛りポテト、そして忘れずにドリンクバーも頼みます。

 

東京に上京した僕は財布の中にドリンクバーの券を常備しておりません。

なぜなら、都内にジョイフルがないから・・・!

 

東京でいうところのサイゼの役割ってとこですよね。

 

そんな時、H田は自身の財布から、2枚のドリンクバーの券をテーブルにひらりとおき、

「これ・・・使っていいぜ?」

と渡してくれます。全然カッコよくないです。でもありがとう。

 

 

それぞれの料理も届き、H田はすでに味付けしてあり山盛りポテトに致死量の塩をぶっかけます。

 

親の仇のように塩を振り続け、美味しそうに食べるのですが、ほんと何あれ。

今でも会うと必ずやってて、彼の血圧が心配になります。

 

芋を食ってんのか塩を食ってんのかわからないくらいですよほんと。

 

しかもそれに加えてケチャップをつけて食べてるもんだから

実質、調味料を食べにきてるのではないかとさえ思います。

 

 

そして必ずやるのは

「ポテトちょっとちょうだい」

と言って、激ヤバしょっぱポテトを食べて

「うーわ!なんこれ!しょっぱ!!!」

と、あれこれデジャブ!?夢の中で逢ったような・・・・

 

まどマギのような、私は何度でも繰り返す・・・というような

お決まりパターンをするのです。

 

 

食事もあらかた終えて、話すのは大体今までやってきたアホな話。

 

 

武勇伝とかそういう「俺ら悪かったよな!?笑」みたいな話じゃなく

 

「小学生の頃、H田が砂場に埋めてというから友達みんなで埋めたらH田はすごく喜んでいて、休み時間のチャイムが鳴るとともに友達はそそくさと校舎に戻る中で、ずーやまだけが必死に掘って助けてくれた。嬉しかった。」

 

とか

 

「中学生の頃、H田が塾でうまい棒の納豆味を食べたら思いの外めちゃくちゃ臭くなって、受験間際でみんなピリピリしてるのも相まって、先生にめちゃくちゃキレられた(塾も一緒だった)」

 

とか

 

「高校生の頃に地元の川が海と繋がっていて、干潮で水が引いた時に2人して川に近づいて滑って落ちて、土がヘドロではまって上がれなくなって、死ぬかと思った」

 

とか

そういう本当に、バカすぎるエピソードを話して2人で涙が出るくらい笑い転げるというのが通例です。

 

そして、僕、ずーやまが社会人になる前に何か面白いことをしないかという話になりました。

 

 

僕とH田は自他ともに認めるいわゆる陰キャです。

なので、大勢で何かするというキャラではなく、気の合う仲間数人で面白いこと(自分らが思う)をして、それを誰かに共有するわけでもなく、自分たちで満足し、たまに思い出して笑うという謎の楽しみ方をしています。

 

何か馬鹿げていて、面白いことか〜

 

と考えていたときに、ふと実家の自室のことを思い出しました。

 

そういえば、実家に帰ってきてから僕の部屋は当時のまま残されていて、高校生の頃の学ランもハンガーにかけてあったな〜(嫌な予感)

 

 

「23歳で学ランを着て、知り合いに会うリスクを抱えながら彷徨いたら面白いのではないか」

 

という悪魔の囁きが聞こえました。

 

よくいう制服ディズニーかな!?

と一瞬頭をよぎったのですが、そんな華やか楽しいイベではありません。

 

ディズニーの中だから許される、ディズニーだから保証される類のアレです。

 

 

街中をそして、このくそど田舎を何が面白くて(個人的には面白いと思ってる)学ランを着て彷徨こうとしているのか・・・。

 

『いや〜こんな誰も得しないなんなら損する23歳学ランど田舎うろつきなんて、面白すぎる・・・H田に言ったら即決だろうな・・・・』

 

と思いながら、

 

「あのさー実家に学ランってまだある?」

 

「あるよ」

 

「俺もあるのね。それでさ、学ランを着てさ、、、ゆめタウン(地元のショッピングモール)とかいくのどう?」

 

「それめっちゃ面白い。わんちゃん友達に会うやろ!バイトとかしてるやつとかおるかも・・・やろう!!!」

 

完全に良くない歯車が回り始めた瞬間でした。

 

誰が何を計画して、なんのためにそれをするのか、常人には理解出来ないですよね。

僕も当時の僕のことを理解できないです。なんですかこのバカチン。

 

そして

H田の目もいつも以上に輝いている・・・・

 

 

「せっかくなら、自転車も昔の通学していたアルベルト(僕らの世代ならわかる)にしよう」

 

といい、絶対に誰も得しない(2人にリスクしかない)イベントが近々開催されることが決定しました。